一目惚れした時の話

医学生。卒業を控え、自分の人生がこれでいいのかわからなくなった結果、昔した恋愛を書いてみることにしました。

その8 前期から後期へ

医学部にいくか東大にいくか、最後まで迷っていたこともあって私立医学部は何個か願書は出していた(順天堂、慈恵、慶應)。

ただ、理3を受けると決めてから東大対策の時間が惜しくなり、ほぼ対策はしなかった。順天堂はセンター利用だったのでなんとかなったが、慈恵は落ちて慶應に至っては受験すらしなかった。

 

 

 

東大本番。

1日目。

 

 

玉砕。

 

 

落ちを確信した。

 

 

 

2日目。特にいうことはない。爪跡も残せなかった。

 

 

 

 

前期入試が終わった翌日からすぐに後期千葉医の勉強をはじめた。

このままだと本当にやばいと思った僕は片っ端から医系小論文対策の参考書を買い読み漁った。

 

ここで初めてQOL(Qualituy of Life), パターナリズム, ヒポクラテスの誓いなどを知る。

高齢者の定義、日本が超高齢社会に突入しようとしていることなども初めて知る。

今までどんだけニュース見てこなかったんだ。

 

この時期失恋ショコラティエが月9で放送されていた。失恋かー俺もとっくに振られてんかなぁ。などと思いながらオンタイムで見ていた。

この時期は午前ー19時まで勉強して後は自由にしていた。後半は勉強するネタも尽きて日中隣町まで自転車で飛ばしてたりしてた。

 

 

 

3/10前期入試結果発表。

 

もちろん番号は掲示板に無かった。

 

センター試験以降さやとは連絡をとっていなかったが、この日久しぶりに連絡した。

 

 

前期落ちちゃった。

 

 

 

そっか。まだまだ気は抜けないね!

 

 

 

さや大丈夫だった?

 

 

 

うん!受かった!

 

 

 

さすがだなぁ。

さやは都内でも結構有名な進学校にいた。後から知ったが、遠目にはふわふわしてぼーっとしているようにしか見えなかったが(失礼)

しっかり校内では1桁だったらしい。すげぇ。

 

さやは晴れて東大生になった。主観入ってるかもしれないけど、さやほどの美人が東大生ってマジでとんでもないと思う。(実際入学してからミスコン出演オファー来たり池袋でスカウト受けたりしたらしい。両方断ってたけど。)

 

〜〜〜〜〜〜

というわけで、後期入試1日目。初めて千葉大医学部にいく。ここが大学…?

 

後期千葉医は癖まみれの問題(当時)で、年によって医学が関係ない問題なども出題されていた。てか医学ゴリゴリの方が珍しいくらい。

 

僕の年は偶然にも医学系の問題ばっかりだった。前期終わった翌日から勉強しておいたことが功を奏す。助かった…

あとは時間との勝負なのでひたすら手を動かしていた。書いてない時間など殆ど無かったと思う。

 

 

終わった後、これならなんとか大丈夫なんじゃないかと思った。が、後期なんて水物なので安心はできない。

 

 

そうださやに連絡しよう。

 

 

(続く)

その7 前期どこにだそうか…

年が明け、来たるセンター試験に向け着々と準備を進めた。

僕は日本史を選択していた。今思えばやっぱり量は多かったと思う。ただ、社会の中で唯一日本史は抵抗がなく、「勉強楽しい」と思える数少ない科目だった。

とにかく85点の壁が厚く、S台主催のセンター模試の過去問をやっても90点超えることは殆どなかった。センター試験の過去問も同様。

 

それゆえ、年明けてからは日本史漬けになった。古典なんてほぼしらねーよ状態。英語は発音記号アクセントをちょろっとやる程度。物理化学は教科書を一気読みして知らないところをpick upしてにらめっこ。

ちなみに現代文で有名な今でしょ先生は僕はすごい先生だと思う。現代文大嫌いマンの僕でも現代文1ミスまでになった。まぁ今でしょ先生は「満点当たり前」って言ってるけど。

 

 

というわけで、本番。

 

 

奇跡。

 

 

自己ベスト更新!!!

 

 

苦手な英語国語が大爆死したが、他の科目でカバーしてなんとかなった。

 

 

 

前期国立受験は気兼ねなく考えられる。

後期は医科歯科以外なら戦える。

 

 

改めて進路のことを考えていた。

 

理2にいくか医学部にいくか相当迷った。

おそらく理2なら狙える。医学部だとしたら…千葉医か。

多分だがさやも理2だろう。理1って感じじゃなさそう。

 

そもそも1年間理2目指してやってきたんだ。さやとも一緒。理2に出す方が自然だ。

東大の願書を取り寄せて理2出願への手続きを進めていたその時。

 

 

 

母親の一言。

 

 

 

やっぱり安定と経済力は魅力。そういう意味でも医者良いと思うんだけどなぁ。

 

 

 

 

安定と経済力は大事。これは響いた。

 

 

僕はできるならさやと結婚したいと思っていた。さやが求める男になりたい。魅力的な男でありたい。将来を共にするならさやを絶対苦しめるわけにはいかない。

 

そして理2に進む理由、進んだ後のことを考えた。普通にサラリーマンになるのだろう。その前に研究か…研究は正直嫌だ、性分に合ってない。

この感じだとおそらく進路を先延ばしにするために理2に入ってるようなものではないか。理2に入ったからといって医学部以外の道で進みたいと思える進路がある保証もない。

そもそもそんなに理系的才能がない。

 

 

 

 

医者になろう。

 

 

 

 

正直、世の中に還元する、とかいう高尚な気持ちじゃない。

さやのために、さやとの間にできた子供のために医者になる。

僕が身体的にも経済的にもさやをサポートしたい。

 

 

 

そう決意した。

今思えばただの僕の傲慢だ。押し付けがましすぎる。

 

 

 

 

 

ただどうしても東大に行きたいという気持ちは捨てられなかった。

 

 

 

理2医進、理3がちらついた。

(僕は東大生じゃないので詳しくは知らないが、健康科学の方から医学科に編入する第3のルートも存在するらしい。知らなかった。)

 

 

塾の先生にも相談した。
その人曰く、医進は理3より難しいと。理3でさえ厳しいのにそんなこと言われたらもっと無理だ。

 

こうも言われた。

君は勉強しなすぎた。それなのに秋の模試でA判定をとった。しかも今、理2にするか理3にするかの状況で迷っている。

理2にしたら間違いなく君はもっと勉強しないと思うよ。多分足元掬われる。理3やってみたら?

 

 

 

勉強をサボったつけがしっかり回ってきた。

 

 

ここまできたら浪人してもなんでも良い。来年のための模擬試験だ。

 

 

前期理3、後期千葉医で出願した。

 

 

 

本当の勝負が始まった。

 

 

(続く)

その6 寒くなり

夏の模試でE判定を食らってからは会う頻度を極端に下げ、勉強するようになった。

 

特に理科をしっかりやり、わりと得意の数学は落ちない程度に、苦手な英語は音読をひたすらするようになった。

英語の音読とか正直意味あったのかわからないけど、理科はやればやるほど伸びるのを感じた。ちなみに理科は本番は壊滅してる。

 

というわけで、11月。S社の東大模試でA判定をもらった。よっしゃ。とはいえすれすれのA判定。K社の東大openはD判定。全く油断できない。
とはいえ、夏の模試からTotal 80点は伸びてとても安心した。このまま行けば理2なら…

 

 

 

 

この頃から親も含めて進路について考え始める。

 

 

親は医学部推しだった。免許さえ持てば食いっぱぐれもない。高給取りで人の命を救うという社会貢献もできやりがいもある。それはわかる。

 

 

でも正直東大に行きたかった。

さやと一緒に東大に行きたい。

幸せな大学生活を送りたい。

 

もし医学部に進んだとしたらどうだろうか。

理3はマジで無理。医科歯科は問題の相性的にもっと無理。

慶應をはじめ都内私立医学部は経済力が無理。

千葉医はまぁ狙えなくはないが東京じゃないから無理。

 

色々考えることは山積みだったが、進路を考えて点数が伸びるわけでもないのはわかっていたのでとりあえず勉強していた。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

12月。うちの塾では最終授業で先生にプレゼントを渡す習慣がある。(クラスによってはピザ食べたりレクリエーションすることも)

 

 

最終授業の日。授業前、さやから連絡が来た。

 

 

先生へのプレゼントどうしよう?

 

 

買ってきてくれるの?

 

 

うん、そう思って今東急ハンズにいるよ。

何がいいと思う?

 

 

何がいいかなぁ…

 

 

適当なもの買っていくね!

 

 

さや…無能でごめんなさい…

さやは文句ひとつ言わずに買ってきてくれた。正直何を買ってきてくれたか覚えてはいない。

ただ、付箋に手紙を書いてアルバムみたいなのを作った記憶はある。先生やさしかったもんなぁ。

 

 

ちなみにその日は12月25日。

 

正直さやと過ごしたかったが、高校同期達と仲良く帰って過ごすことにした。

さやはとある仲良し男女グループの一員でもあった。そのグループの存在は結構有名で、特に女の子達がさや含め皆可愛かった。

そっちでクリスマスは過ごすのだろうと思い誘わなかった。友達と過ごしたいだろう。邪魔はよくない。

あとはまぁ付き合ったらクリスマスくらい一緒に過ごせるだろうと。なんてポジティブ思考。

 

当時男子高校生だった僕はこの男女グループにめちゃくちゃ嫉妬していた。

純粋に環境としても羨ましいし、好きな人を取られるんじゃないかと感じてやきもき。当時の僕は知らなかったが、そのグループの中の1人と僕とでリアルにさやの取り合いになってた。

そして恋敵と大学で同級生になろうとは…

 

(続く)

その5 勉強が…

夏。受験の天王山。

 

 

 

僕は全く勉強に集中できなかった。

主な理由は3つ。

 

1つ目はさやの存在。流れ的にそりゃそうなのだが。夏期講習でもさやと同じになった。なんたる運の良さ。講習の先生は普段の授業でもお世話になっている先生でとてもわかりやすかった。ついでにいうと女子人気がまぁまぁあった。

その先生は(特にクラスの生徒を引き合いに出して)例えるのが結構好きで、僕は結構そのネタにされた。悪い気はしない。

そして夏期講習でもネタにされた。「えっwww」と思わず言ってしまった。キモい。

 

 

その日のさやからのメール。

 

 

先生からいじられてたね笑

 

 

よしっ。

 

 

補足だが、夏期講習の帰りも見境なく誘っては一緒に帰ることがあった。勿論一緒に帰らないこともあった。

 

そして2つ目。

僕は高3になって部活の合宿に行っていた。事情を話すと大変長くなるので、かい摘んで話すと、ようはOBとして後輩を指導するための資格を得る試験に受かる必要があり、僕は高2でそれに合格することができなかったので高3になって合宿に行く必要があった。

正直高2の合宿以降、殆ど練習してなくて当時のOBからも「うーん、厳しいなぁ」と言われていたのだが、幸い、試験でのパフォーマンスがちょっと良かったらしく何とか合格した。
当の僕は全く落ちる気はしなかったのだが、まさかギリギリだとは…

 

余談だが、合宿は基本外練だ。5日間、午前練午後練で外にいる。そうつまりえげつない日焼けをする。

 

 

帰ってきてからのさや

 

 

え、なんでそんなに黒いの?別人かと思った。

 

 

 

 

 

3つ目はスマホ。受験においてスマホは本当にいいことない。

読んでる受験生いるかどうかわからんてか絶対いないと思うけどまじで勉強するならスマホは隔離させよう(ブーメラン

僕はさやからの返信が気になりすぎてスマホを離せないでいた。さやはしっかり1日2、3回くらいしか返信をくれなかったのに。何やってんだか。

 

 

僕の勉強へのちっぽけもない情熱は結果として現れる。

 

合宿から帰ってきた翌日。東大模試があった。

まぁぶっちゃけ殆ど解けなかった。体育祭終わってからも足元浮ついたまま勉強してたし、合宿中なんてもっと勉強してない。

 

 

 

 

E判定。散々たる結果だった。

理科はこれから伸びるから〜などと言われているものの、英数までもひどすぎる結果だった。

流石に僕は焦った。このままじゃまずい。

 

そこからはさすがに勉強した。

 

 

 

僕の脳内のさやが占める割合は少し減った。

 

 

(続く)

その4 告白

5月中旬。体育祭に負けて、責任をとって頭を丸めた。人生初の坊主。坊主にした翌朝、髪の毛の伸びを手のひらで実感した。生命を感じる。

 

僕はさやを諦められなかった。

 

でも玉砕は見えていた。知り合って間もないし、いきなり声をかけてあとはメールでしか殆どやりとりしてないし、告白はデートの3回目とかいう次元の話じゃないし。返信もたまにこない時がある。メールはいつも僕からだ。まぁでもしょうがない。

告白だ。

 

〜〜塾から帰宅後〜〜

今日ちょっと話があるんだけどいい?電話で。

 

いいよ。

 

〜〜ぷるぷるぷる〜〜

ごめんこんな夜に。

 

いいよ、で、何?

 

気づいてると思うんだけど、好きなんだよね。

 

うーんまぁなんとなくは。

 

一目見たときに幸せにしたい、一緒にいてほしいって思ったんだ。

 

ありがとう。

 

ダメかな。

 

うーんごめんね。あなたのことよくわからないし。

 

僕は完全にスイッチ入った。じゃあ知ってもらおう。今思えばとんでもない迷惑野郎だ。でもそうなるくらいに僕はさやに心酔していた。理屈はない。単純に、初めて廊下ですれ違ったときに本能で感じてからずっと。

 

6月頭。

 

またまた僕は話があると言って塾の後さやを呼び出した。新宿駅まで一緒に歩いていった。

 

 

 

どうして付き合ってくれないの?

 

 

だってまだ全然知らないし。

 

 

んーそっか、知らない人と付き合えないもんね。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、受験終わったら3ヶ月付き合って。

それでもダメなら綺麗さっぱり諦めるよ。

 

 

 

 

何それ…

んー考えとくね。まぁその時になったらまた色々変わるだろうし!

 

 

 

僕の諦めの悪さに薄々気づいた&鬱陶しすぎた故の返事なのだろう。我ながら3ヶ月って絶妙だと思う。ちなみにさやは、お互い受験がひと段落する頃には私のことなど忘れているのだろうと思っていたそう。まぁ忘れなかったんですけどね。

 

確認だが、僕は坊主頭だ。坊主のこの姿。やばすぎる。坊主を隣に置いてるさやも十分やばい気がするが。それも踏まえた上で隣にいさせた僕もやばい。

 

(続く)

その3 奇跡

話は少し戻って高3の4月

 

新年度になり、通っていた塾のクラスも新しくなった。僕は英語数学物理化学を習っていた。

物理のクラス。初回。扉を開けたら同じ高校のやつがたくさんいた。他校の知り合いも数人いた。これはうるさくなりそうだ。

そう思っていた時。

 

 

ガチャッ。

 

 

 

えっ。

 

 

 

さやが入ってきた。そして座った。

おいおいまじかよ。

 

仕組んでない。本当に偶然、同じクラスになってしまった。

頭が真っ白になった。それでも平静さを装うために会話を続けた。さやは僕に気づいてくれているだろうか。自然と声量が大きくなってるような気がした。

 

 

授業は全く頭に入ってこなかった。先生の時々の白目が気になりすぎてしょうがなかった。


授業後メールした。

 

 

 

物理のクラス一緒な気がする!

 

 

 

え、そうなの?

 

 

いや興味なさすぎだろ。なんだこいつ。
次週は気づいたらしく、メールを送ってきてくれた。

 

ちなみにさやは先生の白目の話を共感してくれなかった。

 

4月も中旬、本格的に体育祭の準備が忙しくなり、塾の授業を受けるのが物理的に不可能になっていった。

 

さやに会えない?


ふふっばかめ。

 

 

 

体育祭の準備が忙しくて授業に来れそうにないんだけど、よかったらノートを貸してくれない?

 

 

 

さやは了承してくれた。さすがにクラス一緒の知り合いにノート貸すくらいは問題ないと思ったのだろう。まだ知り合って間もないけど。ほぼナンパみたいな形から始まったけど。

体育祭の準備はだいたい夜までかかった。それでも、さやからノートを貸してもらうため、いや会いに行くために準備の後塾に行った。入り口で会い、ノートを貸してもらった。

 

ありがとう。

 

よかったら一緒に歩いて帰らないか。

 

 

さやは了承した。今思えば奇跡。
そのままサザンテラスを一緒に歩いて新宿駅まで行き、小田急に乗るさやを見送った。


運動会忙しいんだよね。

 

そうなんだ。いま、授業全然少ないの。スカスカ。

 

そうだよね、まぁでも多分5月になったら坊主集団が一気に補充されるよ。

 

なにそれ笑

 

 


これを機に定期的に一緒に歩いて帰るようになる。
さやと僕を結ぶ上で重要なルーティン。

 

(続く)

その2 告白のシナリオ

 

kposopo.hatenablog.com

 

↑前回はこちらから 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

高3の春。我が母校で一世一代の大イベント、体育祭が迫っていた。

 

さやを呼ぼう。

 

 

例外は勿論いるが、僕の母校の生徒は大方、体育祭をこよなく愛している。僕もその一人。さやにも体育祭の話は当然していた。僕の母校出身の男どもが振られる理由は体育祭の話しかしないからという都市伝説もある。とにかく熱い。リアルに1年間かけて準備する。体育祭が終わったら晴れて受験生となるのだ。

 

優勝して、さやに告白をしよう。

 

そう目論んでいた。

 

 

そんな中の、体育祭1週間前をきった頃。緊急ホームルーム。

 

 

学校に脅迫状が届いた。

 

 

内容はもう覚えてもないし覚えたくもないが、ようは体育祭を中止しろみたいな内容のことだった。前記の通りだが、母校の体育祭は本当にガチだ。今思えば一種の宗教だ。時には過激にもなる。それゆえか、学年内にアンチがいることもある。事実、体育祭で死ぬほど頑張っても英語の長文が読めるようになるわけではないもの。体育祭に思い入れもなく、受験勉強を優先したい人たちからすれば邪魔以外の何物でもない。
あとは体育祭を抜きにして一般の人の中にも母校にはアンチがいる。殺害予告が届いたことも何回かある。

 

脅迫状を受けて、先生と各組の責任者たちが集結し、緊急で会議を行っていたらしい。その結果、安全を最優先として今年度の体育祭は一般公開中止。日時はそのまま、ということになった。至極当たり前というか、一番ベストな形だと今では思う。苦渋の英断を高3という年齢で下した各組の責任者たちは本当にたくましいと思う。頭があがらない。

 

僕の学校の体育祭はそこそこ有名で沢山のお客さんが来る。生徒の家族、受験を考えている小学生とその親御さん、OB、彼氏の勇姿を見に来る彼女、友達に誘われてきた高校生、ごく少数のナンパされたい女子高生、純粋なファンのお年寄りなどなどとにかく観客も多いし、それも一つの魅力だった。それが一気になくなる。前代未聞だった。

 

さやの前で優勝して告白、思い描いていたストーリーは完全に吹き飛んだ。そういう意味で僕は終わったと思った。

 

いや、でも来れないなら来れないでいいから優勝した話をしてそのまま…などと浮かれていた。


そして当日。

 

惨敗。

 

 

6年間で一度も優勝を味わうことなく卒業した。

某今でしょ先生が言っていた
「負ける奴の特徴は3つ。思い込み、慢心、情報不足」
全てが当てはまっていた。今思えば本当に最低だった。

 

 

 

受験勉強をしないといけない。

さやのことを諦めようとした。

 

 

 

 

 

 

無理だった。

 

 

(続く)